三好絵梨香の713

7月13日は、言わずと知れたさゆの誕生日である。
しかし、美勇伝界隈はそればかり祝っているわけにはいかない。
なぜならこの日はもう一つの記念日でもあるからだ。

私にとって7月13日というのは記念日でして、リスナーの方からメールも頂きましたが、私が将来歌手になろうと決意した日なんですよ☆自分のサインにも713って入れてるんですけど、これからもあの日の気持ちを忘れないように毎日を過ごしていきたいと思います!!!(^0^)/


過去に、ラジオやパシフィックヘブン等のイベントでも幾度となく語られているこのエピソードではあるが、本人発信でネット上に載ったのは初めてじゃないかな?
この他に、美勇伝の結成日である8月10日はなっちの誕生日に、CDデビュー日である9月23日はごっちんの誕生日にかぶっている。
どんだけ〜?
みーよのサインは↓これ。

サインの一番左側に、下から7・1・3が横倒しになって縦に並んでいるのがわかると思う。
このサインについて、みーよが自ら説明したこともある。
それを受けての考察及びみよゆいのサイン変遷については過去に書いているので参照されたし。
千奈美に、みーよが歌手になろうと決意したこの7月13日は1995年のこと。
みーよが小5の時だ。
初めてのオーディションは、1998年3月のモーニング娘。第1回追加オーディション。
そして夢を掴んだのが、2003年8月のハロー!プロジェクト新ユニットオーディション。
オーディションを受け始めて5年5ヶ月、決意から実に8年以上もかけて夢を実現させたわけである。
合格後に載った雑誌の内容を書き起こしてみた。(左のページのみ)


絵梨香さんはこの春高校を卒業し、中華料理店でアルバイトをしながら、歌手になるチャンスをうかがっていた。小学校5年生のときからの夢だったという。
「私と同い年くらいの子が歌っているのを見るとすごいなって。それからモーニング娘。さんが出てきて歌も好きだし、どんどん成長していく姿に憧れました」
初めて受けたオーディションも、モーニング娘。の最初の追加メンバー募集。その後も、いいセンまで行っても合格には至らない結果が続いた。
「高校生のとき、最終まで残って東京に行って、合格なら電話が来るという日、コンビニでバイトしてたんですね。待ちきれずに家に電話したら「来なかった」って……。雪が降るなかを歩いて帰ったんですけど、1人で気持ち悪いくらい泣き叫んでました。悔しくて悔しくて”なんで?”って」
それからも、毎回「これで最後」と思いながら挑戦し続けていたが、今回のハロプロ・オーディションは、本当に夢をあきらめかけていた頃だった。
「もう18だし、親も「そろそろ現実を見て」と言うし、就職しないとダメかな?ってちょっと考えてたんです。そしたら、友だちが「デ・ビュー」を見せてくれて「受けなよ」と。締め切りギリギリで出しました」
いつもは”絶対受かってやる!”と力が入って緊張してたのが、今回はリラックスして自分を出せたとか。
「最近のオーディションは若い子が多いけど、今回は高校生からで、自分より年上の人もいて”私もまだ大丈夫だ”と思ったり(笑)。気が楽でした」
この本が出る頃は18年住んだ札幌から上京、デビューに向けてレッスンに励んでるはず。ちなみに今回は六本木で撮影。「六本木ヒルズ?何屋さんですか?」などと言ってましたが(笑)。
「ホームシックになると思いますよ(笑)。東京暮らしは、”怖いな!”というのと楽しみなのが半々」
バラ色の未来が待ってる感じも?
「そんなことないですね。最初は嬉しくて泣いて、次は”頑張ろう”と思うようになって、今は”このままじゃ人前に出られない。歌も踊りも練習しないと”って。全てはこれからの自分次第だと思いますね」
次回はアーティストとしての取材でお目にかかりましょう。

2003/10発売「De-View」

それからさらに1年、デビューまで間があった。
この後みーよに関する情報は美勇伝結成の報まで何もなく、非常にやきもきさせられた覚えがある。
なかったことになってたりしないだろうな?と。
美勇伝ヲタ以外の人にはみーよのこういう面はあまり知られていないと思うが、みーよには他にも色んな引き出しを持っているから是非興味を持ってもらいたい。
もちろん唯ちゃんにもね!w