当たり前?

先週書いたとおり、「小中学生から『何故人を殺してはいけないの?』と聞かれたらどう答えるか」っていうレポートを書きました。
いけないからいけないとでも言いたいところですが相手を納得させなきゃいけないとの事です。
法律で決まっているからなんてのは愚の極みなので、「人を殺してはいけないのは自分が殺されないため」というのを理由にしてその説明をたらたら書き足していったんですけど、頭の中のこのもやもやした考えをいざ文字面に表すとなるとこれがまた難しいんですよね。理由となるのは1つじゃないし、その説明も説明になんないような考えも頭の中にはあるわけですから。
しかし人を殺してはいけない理由を聞かれて、ちゃんと自分の言葉で答えられる人というのは今どんだけいるんだろうね。


レポート書き終わってから「人を殺してはいけない」でぐぐってみると約2万件も出てきました。
こういうことにも明確な理由を求める人っていうのは「絶対」という存在でも欲しいのかな。
日本は宗教の力が強くない上に道徳の影が薄くなってますから、何を頼りにすりゃいいんだっていうね。
オウム真理教とかもそうでしょ?絶対というものを示してくれるから高学歴の人もぞろぞろついてっちゃったわけで。
っていうか「じゃあお前は殺されてもいいのか」って言ったら何と答えるんでしょうね。
理由があれば仕方がないとでも言うんでしょうか。それとも人を殺すのはいいが殺されるのは勘弁とか?
最近、個を追求しすぎて公が疎かになったのか、自分の権利ばかり声高に叫ぶ人が増えてきましたがそんな感じかな。
確かにお前には自由も権利もあるが、誰かの自由を奪っていい権利なんかねえだろと。
だいたい人が人の生き死にをどうこうしようなんておこがましいとは思わないか?


肉食動物ですら無意味に他の動物を殺したりはしません。
腹が減っていて獲物を食べないと自分が死んでしまうから殺すのであって、満腹の時は目の前を獲物が通ったって見向きもしませんよ。
「殺さない」というのはもしかしたら本能的なものかもしれません。
理性が発達した結果、そんなことも疑問に思うって皮肉な事ですね。